ツアー

イワクラ星人★古代イワクラ文明への超フライトツアー

むくの樹と  たわむれ遊ぶ 鶴彦の 時を超えたる 慈愛の眼(まなこ)

2018年10月11日 前夜祭 ほう吉

女将…..あらやだ2人そっくり!!    同じ星から(イワクラ星)来たイワクラ星人なんです〜

10月12日 超フライト マコモづくしの出雲

10月12日  立石(たていわ)神社 出雲風土記には399の神社が記載されており、その大半は岩にしめ縄を飾っただけのもの。地元住民の方によりほとんどの神社には社が造られましたが、立石神社は風土記の時代、そのままの姿で残っている数少ない神社のうちのひとつです。

スタートから御神氣強烈な磐座でイワクラクラクラ

出雲井社 悪霊邪気の侵入を防ぎ旅人を守護する岐神(くなどのかみ)

何をみてるかというと もちろんイ・ワ・ク・ラ

須田郡司さんと奥さまのひとみさんの出雲大社近くにある、ベジカフェ+ギャラリーまないな にてランチ🍽この日はマコモづくしのお料理でおもてなししてくださいました。美しくて美味しくて嬉しくて大感動💚

命主社(いのちぬしのやしろ)古代の磐座が神社に発展した例として貴重な神社だそう。天地開闢の造化三神の一柱である神皇産霊神が祀られています。推定樹齢1000年といわれるムクの巨木あり。木内さんがムクの実をとってくれてみんなでむしゃむしゃ😆

出雲大社北島國造館 出雲教

出雲大社

須佐之男命が祀られている素鵞社(そがのやしろ)木内鶴彦さんとご縁の深い社です。そのせいなのか青く美しい曼荼羅のような光…。

御陵神社(ごりょうじんじゃ)原始信仰の姿がそのまま残る磐座。立石神社の巨石だけでもクラクラなのに御陵神社の御神氣の強さに誰もがグラグラです。

稲佐の浜 夕暮れのデート風にすり寄り😬逃げる木内さん

10月13日 超フライト 神おわしますイワクラ

八重山の  神おわします イワクラで 語り部申す 地球の未来 

須佐神社の社殿の西を流れる素鵝川(そがかわ)

須佐神社  須佐之男命の御本宮

大杉さん

須佐神社の真向かいに建つ天照社 Yさん撮影

とぐろを巻いた龍蛇様

八重山神社  立岩・御陵に続く巨大なイワクラへ

長く急な階段はまだこれから

ひいふうみいよーい しょ💦

山から流れる清水 教えてもらわなかったら全く気がつきません

なぜか自然すぎる光景 そして古代にタイムトラベルしたかのよう

今回のツアーガイド、巨石写真家・須田郡司さんは、日本のみならず世界中を旅しながら磐座、巨石の写真を撮り続けています。

須田さんがみんなを八重山の裏手へ連れていってくれました。そこにあったのは!スサノオの本来の姿といわれる牛頭天皇の社でした。

島根県から岡山県へ移動🚌

サムハラ神社奥の院 織田信長の時代から矢よけ弾よけのサムハラの護符であるお守りが名高く、大阪のサムハラ神社では御守りの指輪が大人気!

実は木内鶴彦さん….過去にサムハラ神社奥の院に来ようとしても辿りつけなかったことがあります。今回も慣れているはずの道を運転手さんがなぜか道を間違えたり…..途中カラスが何度か?(何羽か?)バスの前に現れては消えるという不思議 カラス デコメ絵文字カラス デコメ絵文字カラス デコメ絵文字 目撃者多数

来れた!ありがたや〜

展望台へ

木内さんの足が地面に張り付いて動けなくなった不思議な磁場の一角 ココ

そこでみんなに試してもらうことに

私が歩いたときはグルグルと目眩がして方向を見失う感覚でした。よく見るとすぐ近くの樹にサムハラの指輪が むむ💍

ありがとうサムハラサンバラシャンバラ

帰りがけ夕陽を追ってバスは雲の上へ

10月14日 超フライト アゲハ蝶は神の使い

神意こそ われ企てる ツアー也 霊地熊山 素盞鳴御陵

最終日は岩神神社のゆるぎ岩へは道が危なく訪問できなくなったことから、訪問先がゆるぎまくり14日の早朝に突然〈熊山遺跡〉に行くことになったのでした。

創建年代不詳 熊山神社

さらに山道を奥へ奥へ

熊山遺跡 熊山山頂(508m)に在る石積みの遺構

出口王仁三郎 岡山県和気郡熊山の山頂にある戒壇は、神素盞嗚大神様の御陵である。中略 素盞嗚大神様は八頭八尾の大蛇を御退治なされて後、櫛稲田姫と寿賀の宮に住まれた。尊百年の後出雲の国のうち、最上清浄の地を選び、御尊骸を納め奉った。これ備前国和気の熊山である。大蛇を断られた十握の剣も同所に納まっているのである。かの日本書紀にある「素盞嗚尊の蛇を断りたまえる剣は今吉備の神部の許(ところ)にあり、云々」とあるが熊山のことである。この戒壇と称うる石壇は、考古学者も何とも鑑定がつかぬと言うているそうであるが、そのはずである。ちなみに熊山の麓なる伊部町は伊部焼の産地であるが、大蛇退治に使用されたる酒甕はすなわちこの地で焼かれたものである。伊部は忌部の義であり、また斎部の意である。愛善苑岡山分所HPより

展望台からは四国小豆島まで一望できるほどの絶景でした。出口王仁三郎も弘法大師空海もここ、熊山に聖地を作ろうとしたのだとか。

楯築遺跡 謎のストーンサークルと日本最大の弥生古墳 須田郡司さんの計らいで特別に御神体である亀石を拝見させていただきました。石の表面には不思議な帯状曲線入組文様が刻まれています。

楯築遺跡は何らかの儀式的または呪術的な空間ではないかと言われているそうです。

ストーンサークルになっている巨石は石同士が音を反射させ倍音となり、音霊によるヒーリングとしても使用されていたのではないだろうか?!そこで実験 おあああぁぁぁ_____音譜音譜音譜

そうしたら やはり やってきました アゲハ蝶2羽

木内さんと一緒に伊雑宮に御詣りした際に、木内さんの頭上でアゲハ蝶がヒュルヒュルと舞っていたのには本当に驚きましたが「いつもくるんだよ」と事も無げにつるちゃん。

神様の使いでしょうか

八咫烏にみえなくもない

大吉備津彦命の御陵

備中と備前の中間地点

吉備津彦神社 夏至の日に正面鳥居から陽が差し込んで祭文殿の鏡に当たる造りになっているので「朝日の宮」と呼ばれているそう晴れ神社晴れ

吉備津神社  この日は偶然にも年に一度の秋期大祭の日で終わったあとに訪問したのでした。

秋季大祭 七十五膳据神事

吉備津神社のしめ縄が中華菓子に見えてしかたありません∞∞∞笑

麻花 (マーファー)

神聖なる回廊ではしゃぐ大人たち きっと祭りのエネルギーが残存していたせいですね。許したもう〜

最終章 超フライト 仰天鳴釜神事

鳴釜に 己の真意 弾けたり スメラノミコト 星より来たる 

鳴釜神事    鳴釜神事という特殊神事があります。この神事は吉備津彦命に祈願したことが叶えられるかどうかを釜の鳴る音で占う神事です。多聞院日記にみられるのが文献的には一番古いとされる。永禄十一年(1568)五月十六 日に「備中の吉備津宮に鳴釜あり、神楽料廿疋を納めて奏すれば釜が鳴り、志が叶うほど高く鳴るという、稀代のことで天下無比である」ということが記されて おり、少なくとも室町時代末期には都の人々にも聞こえるほど有名であったと思われます。

木内鶴彦40代、20数年前のこと。企業の社長様達の「真実の勉強会」へ呼ばれ、吉備津神社の鳴釜の神事に参加しました。神事がはじまり釜に玄米を落とすとものすごい音が鳴り始め、ウワーンウワーンと通常では考えられない長さで音が止まらなくなってしまいました。そしてようやく音が消えたときに阿曽女(あぞめ)であるお婆さんが、端の方に座っていた木内さんの目の前で腰がくだけて座り込み突然!!

「今まで何をしておったのじゃ!」

「われわれは長いこと待っていた!」

「今は鉄がないと思われているが日本には鉄が昔からあったのじゃ!」

「この釜は2000年よりも前、ヒッタイトよりも古い物じゃ!」

「日本には古い文化があるのだ!そのことを伝えよ!」

あとから聴いたらお婆さんは自分で言ったことは全く憶えていなかったそうです。社長様達は全員しっかりと聴いていましたが、みなさん自分に言われたと思ったそうですが、何を言われたか意味が全くわからない….。しかし木内さんは理解し

「わかりました」

と答えたら、お婆さんはへなへな〜となって事は終わりました。それは木内さんにとっての啓示がくる不思議なできごとのはじまりだったそう。

彗星—隕石—隕鉄—鉄 ふむふむ

あとから木内さんに伺いました。なぜ社長さんたちと一緒に鳴釜神事に参加することになったのですか?そのころの木内さんは、大ベストセラーとなった生き方は星空が教えてくれるが出たあとで様々な講演会や勉強会に呼ばれていました。

ある社長様がお酒の席で、この徳利に木内鶴彦の想い(魂)を氣で入れてみるぞとやりはじめて、そら入っただろ!と言うのでじゃあ俺もやってみるとやってみたら、徳利がパーンと割れてハネてしまいました。そうしたらその社長様が悔しくなって吉備津彦神社の鳴釜神事をやって、どっちが力が強いかみてもらおうと言い出しました。(なにやらおとぎ話みたいですね)木内さんとしては力が強いか弱いかなんて関係ない、そんなことしなくてもいいのにと思いましたが、そうして吉備津彦神社に連れてこられたわけでです。

神事の際は社長様達が5〜6人くらい。そして勉強会の先生として呼ばれていた木内さんは端の方に座っていたというわけです。しかし阿曽女は社長さん達には何のメッセージもなく木内さんにだけメッセージを発しました。吉備津神社では鉄(釜)の歴史は800年くらいと伝えられていましたが、阿曽女の言葉を聴いた木内さんの後方にいた宮司様は驚き、しかし「謎が解けました」と一言おっしゃったそうです。

この逸話は吉備津彦神社に行く途中、記憶が蘇り木内さんが何気なくバスの中で話しだしたことから、私たちは知ることができたわけですが、いつものことながら何の脈略もなく記憶の底にしまわれていた出来事を、その場所に行くことで思いだしサラリと話しはじめるのです。え〜不思議😆で終わってしまえばそれまでですがよくよく突っ込んで聴いていくと何それ!という内容なんですね。なぜなら木内さんという人はあまりにも普通の人なので先生にもならない えらくもならない 星と地球が大好きな星少年そのままだから。

鳴釜神事が行われる場所 あ!こらこら覗いちゃだめですよ!

さあ、お別れが近づいてきました。三万光年のイワクラ星への旅はいかがでしたでしょうか。長時間くねくねと磐座ロードを走る時でさえも、宇宙船内から笑い声が絶えず、たくさんおはなしをして飲んで食べて笑いっぱなしでしたね。この度は宇宙船地球号 乗船 古代イワクラ文明への旅にご参加いただけたことに心より感謝いたします✨つるちゃん ぐんちゃん より

遠い記憶のなかに、かつて人間が自然と折り合って生きていたことがあったことを、我々は思い出したい。鶴彦

イワクラ星人は心優しきアタタカイ魂と不動の精神をもつ星の住人のこと

2019年はおふたりと奄美大島へ?!
もちものは水着・ふんどし・シュノーケル・うきわ・ビーサン・健康・優しさ・思いやり・勇気・愛・チャレンジ精神・ありがとうの心・不動の精神・不思議大好き・好奇心全開魂です。

完了星

ヒカルランドツアー企画&ナビゲーター📷✒高島敏子

 

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