ツアー

【ヒカルランドツアー】八百万の神々の息吹を360度体感できる隠岐の島

2018年5月18日〜20日 目にも麗しく美しく生命力みなぎる新緑の隠岐へ

神にまもられ隠されし聖域 ヒカルランド《隠岐の島》ツアー

『特殊なこの国と天皇家の超機密ファイル』の中で著者として登場された、島根県議会議員現職の吉田雅紀氏のガイドで開催しました。

実はこの吉田雅紀氏(右)

とあるヒカルランドセミナーに参加者として参上⇩

懇親会の席で隠岐の島の話をする⇩

それを聴いたヒカルランド石井代表「おもしろ〜い♪」⇩

早速セミナーに講師依頼しちゃった⇩

そして著者として登場ジャジャーン⇩

あわせて隠岐の島ツアーの企画と至りました、目の付けどころがさすがです😎

2017年10月 隠岐の島 弾丸1泊で下見へGO〜

木内鶴彦さんと須田郡司さんとなぜか合流

吉田さんよりツアーの時期は新緑のいちばん美しい5月にぜひ来て欲しいと熱く言われ2018年5月にツアーが決定!いよいよその時が近付きつつ……1週間前からの天気予報は最初の2日間は大雨予報でした😭

水の島〈隠岐の島〉のアムリタに禊がれて 島後編

2018年5月18日(金)隠岐空港集合

『3日間で誰でもできる! 根源神エナジーヒーリング 神さまが教えてくれた運命改善超秘法のすべて』

著者で大人気の岡部公則先生もツアーにご参加!昨年は壱岐島ツアーへもご参加いただきました!

実は数日前から石井社長は体調をくずしていて「岡部先生が一緒ですよ♪」と一言伝えたら「それは安心だ〜」元気に過ごすことができたのでした。

島後 人口14,486人(2016年度)牛483頭🐂 馬0頭

樹齢2000年を超える見事なご神木杉のある玉若酢神社

神秘なる談鏡神社の滝🐉滝の水と交じる霧雨 私たちは初日にたっぷりと隠岐のアムリタを浴び禊がれたのでした。

寿司職人の方が精魂こめて作ってくれた贅沢なお弁当お弁当

最高に美味しかったです!満足度300ラブラブ

島後に鎮まる隠岐国一宮 水若酢神社

隠岐古典相撲(隠岐相撲をモデルにした映画は渾身

もともとは五穀豊穣などを願う祭りの「奉納相撲」として行われ、神々に敬意と感謝を表すためのものでした。隠岐では、神社の遷宮や学校の開校記念など、島内で祝い事がある時に「古典相撲」が夜を徹して行われています。江戸時代の文献に、隠岐一宮「水若酢神社」の20年に1度の遷宮で、奉納相撲(宮相撲)が開催されたとの記述が残っています。

忌部正孝宮司様が面白いおはなしをしてくださいました。「隠岐では家に鍵をかけません鍵をかけておくと、助けあって生活する隣人や地域の人たちが作った野菜やら何やらを家の中においておくことができなくなるから逆に損しちゃうんですよ(笑)鍵が空いていてモノを取られるのではなく逆なんですよ〜」まさに〈隠岐の島〉の隠岐魂は理想郷なのです。

島後久見神楽が夜通し行われる伊勢命神社

こちらは『竹内文書でわかった太古の地球共通文化は【縄文JAPAN】だった』著者の故・高坂和導氏の奥様の三和導代さん 。三和導代さんは世界の秘境を旅するコンダクター。ガイドをしながら古代史や宇宙の謎を解き明かしています。中矢伸一先生の「玉響」で著者として連載中です。

岩倉の乳房杉 周辺は地下水で冷やされた冷風が玄武岩溶岩の隙間から吹き出して、真夏でも冷気が漂うという…モノノケエナジーたっぷりの霊気がすごい!あ

立木海岸沿いにあるヨット艇庫にて、有志の方々がウェルカムパーティーを開催してくださいました。隠岐民謡で踊っちゃう隠岐楽バンドも登場。パーティー後に老人ホームで演奏するのでリハーサル代わりに(?笑)演奏してくださいましたルンルン

隠岐名物の食材がどんどんどんどん差し入れで届き、牡蠣 アワビ アジ イカ サザエ メカブ 隠岐牛などなど〜隠岐名物だけでなく、おもてなしの隠岐魂にも一同超感動!

隠岐の岩牡蠣だぞ〜

あらやだ、ぜんぶ食べちゃうわ

ばくだんサザエおむすび🍙握り手も😆

こんなメカブみたことない イカの色艶ったら

ジュ….ジュワ〜

神宿ってます

みなさま、熱いおもてなしをありがとうございました!!!

性なる島〈隠岐の島〉のアイヌ伝説 島前 西ノ島 中ノ島編

5月19日(土)フェリーしらはまに乗船して島後の西郷港から島前の中ノ島へ

中ノ島 人口2317人(2016年度)牛約600頭🐂

日本海に浮かぶ孤島 遠流の地 流刑の地のイメージから隠岐は遠〜いイメージがありますが、実際には朝廷から重視され続けて何度も歴史の重要な舞台になっています。承久の乱で鎌倉幕府と戦った後鳥羽上皇が隠岐で憤死したことは名高く、そののち、鎌倉で幕府の要人の変死が相次ぎ、後鳥羽上皇の祟りが噂されて「天魔蜂起」と恐れられました。天皇家に逆らって祟りに遭うという意味ガーン

隠岐に配流された後鳥羽天皇を祀る隠岐神社へ

凛とした空気 村尾宮司様

緑も花華も美しく広大な隠岐神社の敷地は約1万2千坪もあります。歩くだけでも気持ちイイ照れ

ウワサの後鳥羽天皇御火葬塚

参加者の方からいただいた、隠岐神社拝殿に緑色の光の帯

明屋海岸 隠岐の島にはアイヌの地名やアイヌに纏わる伝承がたくさん残っています。明屋海岸は、島の女神がお産をしたという伝説の地、というのは観光ワードで😆本当は、アイヌの聖地ならぬ性地なのです〜「すべてが雄大すぎてオープンにもなっちゃうわよね…女子たち」

下見の際に超感動したひっそりとたたずむ宮田神社

右端の駆けつけてくれた榊原宮司様は宇受賀命(うつかみこと)神社の宮司様でもあります。

海士町の美しい田園の中に鎮座する宇受賀命神社(下見のみ)

村長さんが丁寧に解説してくれましたおねがいほのぼの

創立不詳 神々に注目

ご神木にゆったりと寄り添りそうのは自然なことです゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚

内航船に乗り同じ島後の西ノ島へ向かいます🚢自宅から最寄りの駅にバスでいくみたいな感じ?

壁の装飾が隠岐名物 海遊園でお・食・事🍴

絶景!国賀海岸の魔天崖!溶岩が日本海の激しい浸食作用によって削られ形成された断崖絶壁の壮大な景観 高さ257Mの魔天崖は海食崖では日本最大規模!

誰もが〈肺〉いっぱいに空気を吸い込みたくなります\(^o^)/

島前一宮である由良比売神社の社殿正面の浜辺は「イカ寄せの浜」と呼ばれ、かつては冬になると大量のイカが押し寄せたそう!それにしても見事な木造建築です。

ひかる光るヒカルキラキラランド

焼火(たくひ)山の中腹に鎮座する焼火神社

焼火(たくひ)神社参道 これぞ神旅💫異次元パワー

焼火権現は日本海の船人の安全の神として崇められてきました波こちらは吉田権現なり〜

社伝によると古の旧暦12月30日の夜、海上から火が3つ浮かび🔥🔥🔥それがいまの社殿のある巌にはいったのが起源といわれています。

焼火神社の飄々とカッコいい松浦宮司さまを囲んで

下山中、息をのむほどの美しい景観が広がります。

そして巡る最後の島、知夫里(ちぶり)島へ、最果ての地にやってきた感ありありのワイルドな知夫里島!

夜の宴は知夫の里ホテルへ平木村長さんがご挨拶に来てくれたうえに、ものすごい差し入れの数々!初日のウエルカムパーティーに続き、またまた手厚いおもてなしを受けたのでした!感謝いっぱい!

ワイルドな島〈隠岐の島〉へタイムワープ 島前 知夫里島編

 

知夫里島 人口629人 牛600頭🐂 馬10頭🐴 たぬき2000匹

ワイルドな知夫里島の朝(知夫の里から)

知夫里島で素晴らしいガイドをしてくれたのは、自称〈赤ハゲくん・名勝にちなみ〉ビジュアルのインパクトが強すぎてお名前を忘れてしまいました。

後醍醐天皇が配流されて一番最初に辿り着いたところがここ仁夫浜

魔天崖の牛さんたちより赤ハゲ山の牛さんたちはさらにワイルド!ちなみに隠岐の牛突きは後鳥羽上皇をお慰めするために行われたと伝えられ800年近くの伝統を誇るそうです🐂

さて、バスで山を登るにつれ雲が多くなり、赤ハゲ展望台に到着した時は、霧雨と風がビュービュー!実は寒さのあまり知夫の里さんより、どてらを借りてきたのでした💦

どてら1号

どてら2号

背後にみえる神島(かんじま)は、よくみると、左側に伊勢の二見が浦にある夫婦岩と同じような磐座があります。

もし東京からいきなりここへタイムワープしたら、いつの時代なのか混乱するほどの大自然@ジオパーク

国の名勝天然記念物 赤壁

一同……ブラタモリがきてないのはおかしいね……ディレクターさん吉田雅紀さんを紹介します。御礼は取材同行でいいですよ😝

 

何億年も前からの大地の成り立ちは地質的には日本に属さない

いにしえから絶海の孤島として知られる隠岐の島諸島

ユーラシア大陸の縁辺であった時代から

湖の底の時代、深い海の底の時代を経て

今から約600万年前に大規模な火山活動によって誕生しました。

隠岐の島独自の伝統、島民の生活に深く根ざす神道文化。湧き出ずる水、北方系、南方系、大陸系、高山性の植物、黒曜石や玄武岩、先カンブリア代の岩石を含む隠岐片麻岩などの鉱物、豊かな海産物や資源、動物にいたっては鹿・猪・狐・熊がいない?!それはそれは不思議な生態系を残す島。

一生に一度、皇族は隠岐を訪れなくてはいけない決まりがあるともいわれており、天皇や皇族の遠流の地としても知られています。

隠岐の国の隠された歴史を学び、創造を絶するほどのスケールの大きな自然を体験。神道の島、隠岐ならではの神社を案内いただき、島前(西ノ島、中ノ島、知夫里島)と島後の生きた伝説の島を旅したのでした☆

参加者の小林幸司さんよりご感想をいただきました。

このツアーを知ったきっかけは、トッチさんの神聖幾何学セミナーに参加した時に、高島さんとの出会いがありその時にチラシをいただいたことです。

トッチ→日月神示、マカバ、フラワーオブライフ 宇宙の最終形態「神聖幾何学」のすべて1[一の流れ]

チラシの中にツアーナビゲーターとして島根県議会議員であり、ヒカルランド刊「特殊なこの国と天皇家の超秘密ファイル」の一著者である吉田雅紀さんが同行するということでしたので、本の記述にはない新たなお話が聞けるのではないかと思い、なんとか仕事の勤務日を調整して是非とも参加したいと思いました。

行先が離島の現地集合ということで、羽田発航空機のアクシデントがあった場合、出雲での乗り継ぎがうまくいくのかなど心配な点がありましたが、幸いなことにトラブルなくほぼ定刻通りに現地の集合場所に着くことができ安堵しました。

出発前日の天気予報では隠岐の島の天気は1日目と2日目が雨、3日目が晴れということでした。これはなんとかしなければと思い、北方に向けて神拝詞を唱え、特に神代七代の一柱である「豊雲野神様」に天気の回復を願いました。

そうしたら1日目は小降りの雨で済み2日目は小雨から晴れに変わりました。結果的には1日目の雨は隠岐の島が水の島とも言われる所以がわかりよかったと思いました。

1日目の水若酢命神社で正式参拝の後に宮司さんから、神社に纏わるお話を聞き宮司さんから直々にお神酒をいただきました。

1日目に奄美大島から隠岐の島へ移住してきた女性の方が、謎多き「瀬織律比売」への関心が深い方で、ツアーに同行し、その方の知りうる限りのことを話してくれたこともとても良かったです。隠岐の島を愛する気持ちが伝わりました。

◎齋藤あやこさん ヒカルランドの瀬織津姫関係の本をたくさんお持ちで驚きました📚

1日目の夕食は立木海岸に隣接した倉庫のような場所でしたが、地元の住民の方々が、溢れんばかりの海の幸をバーベキューにしてご馳走してくださいました。地酒もいただきました。これは今まで飲んだことのない銘柄ばかりでした。とても美味しかったです。後に一升瓶の「高正宗」宿泊先のホテルに1本しか置いてないものを買ってしまいました。おまけに平均年齢60歳以上のバンド演奏。歌唱などがあり、まるでここは竜宮城かと思ってしまいました。村人の心からの温かいおもてなしになにか懐かしい感じを覚え、感激しました。

1日目の夜は、翌日「フェリーしらはま」にすぐに乗船できるロケーションにある、アメニティの整った隠岐ビューポートホテルに泊まりました。

2日目は、午前中に、隠岐神社と宮田神社を巡りました。隠岐神社では正式参拝があり、宮司さんからのお話がありお神酒をいただきました。隠岐神社の境内には、後鳥羽上皇の詠んだ和歌を刻んだ歌碑が至る所にあり、流された当時の上皇の気持ちを想像したりしました。

2日目午後は、菱浦港から船で別府港まで行き、昼食後は貸切バスでの移動となりました。暖かな日差しを浴び、訪問地の「摩天崖」では360度の国立公園の眺望が利き、周辺の島々、空、海、崖、放し飼いの牛、鵄、烏、鶯、野の草花など、心行くまで楽しむことができましたただし、歩く草原の中には牛の焦茶色や黒色の落し物がそこかしこにあり、靴を汚さないよう気を付けなければなりませんでした。

島全体が世界でも貴重なシオパークであることを実感できた時間となりました。思わず「また来るよ!」と空中に向かって叫んでいました。

その後訪問した焼火神社は、30分ほどの山登りがありましたが、参拝の後、宮司さんが抹茶をご馳走してくださいました。有り難い気持ちで頂戴しました。

焼火神社の山荘から南プロバンス風の瓦屋根越しに眺めた眼下の景色は、海上保安庁の船が航行している様子も見え、とても美しかったです。

2日目が行程が終わって「知夫の里ホテル」に泊まることになりましたが、サプライズがあり、夕食のときに、知夫村役場村長の平木さんがお見えになり、知夫村に纏わるお話をいろいろしてくださいました。地酒もふるまってくださいました。とても感激し、有り難い気持ちでいっぱいになりました。知夫村を愛している平木村長さんの気持ちが、痛いほど伝わってきました。とても温かみのある村長さんでした。

夕食のメニューは、言わずもがなですが、大量の舟盛りのお刺身、大量の殻つきの生牡蛎、大量のサザエの壺焼き、隠岐牛の蒸し焼き煮魚、その他たくさんのご馳走が並べられ、最高の贅沢をさせていただきました。

さて、3日目、最終日となり、赤ハゲ山、知夫赤壁を巡り迫力のある雄大な景色を堪能できました。ガイドをしてくださった、かつて芸人を目指していた若いお兄さんのお話は歯切れよく、笑いを誘う場面もあり、楽しめるお話でした。自称「赤ハゲ」とおっしゃっていましたが、その印象が強く、本名を聞いたのですが忘れてしまいました。ごめんなさい。

知夫里島の来居港から隠岐空港のある島後の西郷港までは、漁船の貸切チャーター船Turumaruに乗船し中ノ島と西ノ島の間を抜けて、島前と島後の間を北から南へ移動し、西郷港へ着きました。漁船ということもあり、荒波の影響で船体は揺れに揺れ波しぶきを受けながら、ジェットコースターや震度6〜7の起震車に乗り込んだ以上のハラハラドキドキの体験となりました。

幸いにも、船外へ放り出されることなく、船酔いすることもなく、船旅を満喫することができました。隠岐の荒波、潮風を受けたこの船旅は一生の思い出となるでしょう。

西郷港帰港後は、最後の昼食。やっぱり出ました、地元産のお刺身。和風の特別の定食でした。全部食べ切りました。満足満足!

昼食後は、近くの市場でお買い物。お土産として、私は、あらめ、めかぶ、わかめ、あごだしの粉末、藻塩、塩まんじゅう、藻塩キャラメルを買いました。

最後に、この旅行を総括すると、まず、このツアーのプロデュースがとてもよかったと思います。3日間と短い中に、見所が凝縮されていました。無駄なことは一つもなかったと思います。観ること、聴くことだけでなく、軽い山登り、荒波の航海などの体験を通して隠岐の島のよさを実感できました。

また、毎日、代わるがわるガイドをしてくださった方々に触れ合うことができ、たくさんの親切をいただきました。ツアーで3日間同行した方々との交流があり、皆さんが優しい方々ばかりで、いろいろなお話を伺うことができて楽しかったです。そして、3日間に渡って私たちのためにナビゲーターをしてくださった吉田雅紀さんには心から感謝の気持ちでいっぱいです。吉田さんの解説があり、私たちは、隠岐の歴史や自然や風土、人々の暮らしなど効率よく楽しく知ることができ、充実した気持ちで旅を終えることができました。体は自宅に戻りましたが、後ろ髪を引かれる思いで隠岐を後にしましたので、心はまだ、隠岐に残っています。隠岐の余韻が、しばらくは消えそうにありません。

最後の最後ですが、この旅を計画・準備してくださったヒカルランドの高島敏子さん、石井社長さんに心から深く深く感謝申し上げます。ありがとうございました。また、いつの日にか、ヒカルランドさんの新たなツアーでお会いできることを楽しみにしております。文才がないため、濃密な文章を目指したつもりでしたが雑な文章になってしまったことをお許しください。ヒカルランドさんのこれからますますのご発展をお祈りしお礼の手紙とさせていただきます。お読みいただき、ありがとうございました。

平成30年5月22日 小林幸司 インスタグラムアカウント名:omijinyama

八百万の神々の息吹を360度体感できる隠岐の島

一期一会の旅……非日常の旅の体験は、私たちの人生をどれだけ豊かにしてくれることでしょうか。その一瞬一瞬を切り取りたくて📷たくさんの笑顔に会いたくて😊また、旅に出たくなるのです。

取材(📷・✒)高島敏子

 

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